
深い溜息とともに、また時計を見てしまう。
午前2時。静寂の中で、デジタル時計の赤い数字だけが、やけに鮮やかに目に焼き付きます。
こんにちは。プラントで機械設備の保全を担当しているアラヤスです。4年後の定年を前に、長年の不眠に悩む私が見つけた、意外な解決法をお話しします。
眠りを見守る?
真夜中の独り言



エアコンの微かな風の音さえ気になる夜。隣で妻が静かな寝息を立てているのに、私の頭の中は、まるで終わりのない会議のよう。
布団に横たわる体は疲れているのに、脳だけが冴え冴えとしています:
「退職金は本当にこれで足りるのか…」
枕に頭を押し付けても、不安は消えない。
「住宅ローンの残りと、子供の学費と…」
もぞもぞと体を動かすたびに、布団の擦れる音が耳障りに。
「これからの人生、何を楽しみに生きていけばいいんだろう」
天井を見つめる目は、ますます冴えてくる。
そして、いつものように早朝4時。カーテンの隙間から、少しずつ明るみが差し始める頃、ようやく微睡みが訪れる―。そんな日々が続いていました。
思いがけない転機



「アラヤスさん、このままでは心配です」
診察室の蛍光灯の下で、産業医の表情が妙に印象的でした。
「慢性的な睡眠不足が、あなたの健康を蝕んでいますよ」
その言葉をきっかけに訪れた睡眠外来。真新しい白衣の清水先生(仮名)との出会いが、その後の人生を変えることになるとは、その時は想像もしていませんでした。
診察室のわずかなコーヒーの香りの中、何気ない会話が始まりました。
「アラヤスさんのお仕事は、機械を見守ることなんですね。その時、どんな気持ちで接していますか?」
「そうですね…」
首を傾げながら答える私に、先生は穏やかな微笑みを向けます。
「むやみに手を出さず、まずは様子を見守ります。焦って対処すると、かえって状況が悪化することもありますから」
「その『見守る』感覚を、ご自分の眠りにも使ってみませんか?」
診察室の静寂の中で、その言葉が不思議な重みを持って響きました。
なぜ「待つ」と眠れるのか ~睡眠の不思議な仕組み~
努力は必要なかった



清水先生は、スケッチブックを取り出しながら、人間の脳と睡眠の関係を説明してくれました。
「私たちの脳には、覚醒系と睡眠系という、相反する2つのスイッチがあるんです」
白いページに、シーソーのような図を描きながら、先生は続けます。
「眠ろうと意識的に努力すると、どうなると思いますか?実は、覚醒系のスイッチが入ってしまうんです」
ふと、工場で経験した機械の故障を思い出しました。必要以上に力を入れて調整しようとすると、かえって状態が悪化してしまう。人間の脳も、同じような仕組みを持っているとは。
「特に定年前の方によく見られる『頑張って眠らなければ』という思考は、脳を興奮状態に導きます。血圧が上がり、心拍数が増加し、体温もわずかに上昇する。まさに、目が覚めるための準備態勢になってしまうんです」
先生が指さす脳の図。視床下部という部分で、興奮と鎮静のバランスが絶妙に保たれているそうです。
「では、『眠れなくても良い』と受け入れると、どうなるでしょう?」
交感神経(興奮)が優位だった状態から、副交感神経(リラックス)優位の状態へと、自然に移行していく―。
「人間の体には『睡眠圧』という、自然に眠りに導く力が備わっています。でも、その力は『待つ』ことでしか発揮されないんです」
脳と体が喜ぶ「待ち方」の極意



先生は、具体的な「待ち方」も教えてくれました
- 体温の自然な低下を味方につける
「布団に入って15分ほどで、体温は自然に下がり始めます。この時、『早く眠らなければ』と焦ると、その自然な低下が妨げられてしまいます」 - セロトニンとメラトニンの絶妙なバランス
「楽しい妄想や穏やかな考えごとは、幸せホルモンのセロトニンを分泌させます。このセロトニンは、やがて睡眠ホルモンのメラトニンへと変換されていくんです」 - アルファ波からシータ波へ
「リラックスして何かを待つ時、脳はアルファ波という穏やかな波を出します。このアルファ波は、自然と睡眠時のシータ波へと移行しやすい特徴があるんです」
そして先生は、にっこりと笑いながらこう付け加えました。
「眠れない夜に経験する様々な思考も、実は自然なプロセスの一部なんです。定年前の不安や期待も、人生の大切な一コマ。それらを『待つ』という態度で受け入れることで、脳は自然な眠りのリズムを取り戻していきます」
科学を味方にした、新しい夜の過ごし方
意外な実践方法



知識を得て、実践への不安が薄れていく感覚がありました。まるで、長年の謎が解けたような、そんな清々しさを覚えます。
「では、実際にどのように始めればいいでしょうか」
私の問いかけに、先生は温かな微笑みを浮かべました。
「今夜から、こんな気持ちで横になってみましょう」
以下が、先生から教わった具体的な「待ち方」です:
【就寝30分前から】
・室温を20度前後に調整
・明かりを少し落とす
→体温の自然な低下を促し、メラトニンの分泌を邪魔しない環境づくり
【布団に入ってから】
・体をゆっくりと伸ばす
・深いため息を一つ
・「今夜は、ただ休むだけ」と自分に語りかける
→交感神経の興奮を抑え、副交感神経優位な状態へ
【そして、こう考えてみる】
・眠れなくても、横になっているだけで立派な休息
・あれこれ考えるのも、脳の自然な活動
・眠気は必ず訪れる。それまでの時間を楽しもう
一週間の変化の記録
【1日目の夜】
デジタル時計が23:15を指している。今までなら「あと7時間しか眠れない」と焦っていた時間。でも今夜は「7時間も横になっていられる」と考えてみる。
セロトニンが出やすいように、明日の釣りの計画を楽しく想像。波の音、潮の香り、早朝の静けさ…。気がつけば、朝日が差し込んでいた。
【3日目の夜】
体の力を抜いて横たわっていると、自然と体温が下がっていくのを感じる。頭の中では退職後の生活への不安が浮かぶが、「それも自然なこと」と受け入れる。
ふと、妻の寝息が聞こえる。「これからは朝の時間をゆっくり過ごせるな」という期待が芽生える。いつの間にか、穏やかな眠りへ。
【5日目の夜】
気がつくと、寝る前の緊張が薄れてきている。布団に入る時の「さあ、眠らなければ」というプレッシャーが、いつの間にか「ああ、今日も一日お疲れさま」という気持ちに変わっていた。
アルファ波が心地よい眠りへと誘うように、考え事も徐々にぼんやりと…。
【7日目の夜】
初めて、目覚ましより前に自然と目覚める。体が軽い。頭もクリア。何より、夜を怖れる気持ちが消えていた。
まとめ
一カ月後の驚きの変化



あれから一カ月が経ちました。体と心に、静かな変化が訪れています。
朝、目覚めると、カーテンの隙間から差し込む柔らかな光が目に優しい。以前は重たかった頭が、すっきりとしています。妻が淹れてくれたコーヒーの香りが、心地よく鼻をくすぐります。
「最近、顔色がいいわね」
朝食時、妻がそっと言いました。
確かに、変化は確実に訪れていました:
・平均睡眠時間が6-7時間に
・休日の昼寝が不要に
・朝、自然と目が覚める
・夜の不安が「明日への期待」に変わっていく
最も大きな変化は、「夜」への向き合い方。もう、眠れない夜を恐れなくなりました。むしろ、静かな夜の時間は、自分の人生を見つめ直す貴重な機会になっています。
家族との新しい時間



「お父さん、最近穏やかになったね」
先日、娘がふらっと訪ねてきた時に言いました。
実は、眠りを「待つ」姿勢を学んでから、家族との関係も変わってきたのです。焦らず、構えず、ただそこにいることの心地よさ。それは、家族との時間にも自然と反映されていました。
妻と休日の朝食を楽しむ余裕も生まれ、退職後の生活への不安も、二人で話し合える話題に変わってきています。
これからの人生への新しい展望



先日、清水先生の最後の診察を受けました。
「睡眠は、その人の人生の鏡なんです」と、先生。
なるほど、眠りを追いかけるのをやめたら、人生の見方も変わってきました:
・定年後の生活への不安が、新しい可能性への期待に
・「まだやり残したこと」が、「これからできること」に
・「失われる日常」が、「始まる新しい日常」に
工場で機械の声に耳を澄ませてきたように、これからは人生にも耳を澄ませていこうと思います。
そして、この経験を同じような悩みを持つ方々と共有したい。この記事を読んでくださっているあなたも、きっと似たような不安を抱えていらっしゃるのではないでしょうか。
今夜、布団に入る時、こう考えてみてください:
「今は、ただこの時間を受け入れよう」
きっと、あなたの夜に新しい穏やかさが訪れるはずです。
おやすみなさい。穏やかな夜を。
コメント