【現場の哲学】教えすぎないベテランが、たった一つのオイルで知った「設計者の知恵」


目次

「なんでも屋」を23年やって、俺は何も知らなかった

私は水処理プラントでメンテナンスの仕事をしています。
入社して二十三年。途中入社でしたが、気づけば古株の部類になりました。

この仕事を説明するのは、なかなか難しい。
草刈りもやれば、施設の清掃もやる。燃料や薬品の調達、オイル交換、分解整備、電気の点検まで――まさに“なんでも屋”です。
でも、その雑多さの中に、現場を回す知恵がぎっしり詰まっています。

勤務は昼勤と夜勤の三交代制。夜勤は朝に出て、翌朝まで。
仮眠時間があるとはいえ、実働は十六時間。最初のうちは地獄でしたが、これも“慣れ”というやつです。

夜明け前、静かな処理棟の蛍光灯だけが白く光る。
循環する水の音を聞きながら「今日も無事に動いた」とホッとする。
そんな朝を二十年以上くり返してきました。
今は昼勤ですが、この積み重ねこそが、私のいちばんの財産です。


2. 「教えすぎない」のは不親切じゃない。現場の”感覚”は自分で掴むしかないから

最近は、上司から「後輩に仕事を教えてやってくれ」と言われることが増えました。
ありがたい話ではありますが、私は“全部は教えない派”です。

誤解を恐れずに言えば、教えすぎると、頭が動かなくなる
考える前に「やり方」を覚えてしまうと、判断の筋肉が育たないんです。

もちろん、事故につながるようなことはきちんと教えます。
危険のラインを見極めたうえで、あとは“考えさせる”。
そして、失敗した時――「どうすればよかったんだろう」と本人が感じた瞬間、
そのとき初めて、私のアドバイスが本当に届くんです。

現場では、温度や湿度、機械の経年劣化、音、におい――そんな“生きた条件”が判断を左右します。
でも、その音やにおいを言葉で説明するのは難しい。
「焦げたようなにおい」「いつもと違う響き」――そんな曖昧な表現しかできません。
だからこそ、自分の感覚で掴むしかない

手順書は骨格にすぎません。
現場では、条件によって手順が細かく分岐していきます。
そこを考え、迷い、試行錯誤することでしか、感覚は自分のものにならない。

だから私は、後輩にこう言います。

「答えは手順書に書いてない。お前の頭の中にある。」


3. 50代の慢心。「オイルくらい混ぜてもバレないだろ」という油断

それは私が、「自分はまだ何も知らない」と痛感したことがあったからでした。

その出来事は、私がまだ五十代になった頃、自分に最も自信を持っていた時期に起こりました。

きっかけは、機械用オイルでした。

ある日、オイル交換の予定を立てていた時、在庫が足りないことに気づきました。倉庫を探すと、同じメーカーの別粘度のオイルが半缶ほど残っています。

「これを混ぜてもいけるんじゃないか?」

忙しさと面倒くささが混じって、そんな考えが頭をよぎりました。

念のためネットで調べてみると、出てくるのは“混ぜるな危険”の文字。どうやら、粘度が違えばオイルの性能が変わり、潤滑どころか摩耗を促進してしまうらしいのです。


4. ネットで見た「混ぜるな危険」の4文字が、重大事故の入り口だった

粘度とは、オイルの“流れにくさ”の指標です。一般的に「SAE 30」や「ISO VG 68」などの数値で表されます。

数値が大きいほど粘りが強く、金属同士の圧力を支える能力は高い。しかし、硬すぎると金属の細かい隙間に入り込まず、潤滑膜を作れない。逆に柔らかすぎると、せっかくの膜がすぐに押しつぶされてしまう。

さらに、オイルには「添加剤」という成分が入っています。酸化を防ぐもの、泡立ちを抑えるもの、金属摩耗を防止するもの――これらの添加剤は、オイルごとにバランスをとって設計されています。

つまり、違うオイルを混ぜると化学的なバランスが崩れる。例えるなら、味噌汁とシチューを混ぜるようなものです。どちらも良いものなのに、混ぜると別物になる。

私は、メンテナンスの仕事をしているのに、故障の原因をつくるところでした。軽い気持ちの“手抜き”が、重大なトラブルを招く。その可能性に気づいた時、背筋が冷たくなりました。


5. 専門書で知った設計者の知恵と「指定の缶」の意味

オイルについて深堀して専門書クラスまで調べてみました。

すべて理解できたわけではないのですが、そこには自分の知らなかった世界が広がっていました。

オイルはただの潤滑剤ではなく、温度変化や圧力、運転環境までを想定して設計されています。流動点(凍りにくさ)や引火点(燃えにくさ)、粘度指数(温度による粘度変化の度合い)など、それぞれが機械の寿命に直結する要素だと知りました。

原油の産地によって性質が違うことも驚きでした。硫黄分が多い油もあれば、流動性の高い油もある。それをブレンドして目的に合った性能を作り出すのが、オイルメーカーの技術だということ。

私は、ただ「指定された粘度の缶を入れ替えているだけ」だったのです。その裏には、設計者と化学者たちの知恵が重なっていました。数値の意味を調べるほど、「この仕事の奥には、見えない努力が積み上がっているんだ」と感じました。


6. なぜ「広く浅く」で現場は回るのか?―見えない努力の上で働いていた

プラントの仕事は、広く浅くでも一応回ります。それぞれの専門家が設計し、想定し、リスクを計算してくれているおかげです。私たちはその知の上で作業している。それを意識せずに「慣れ」で仕事をしていたのだと思います。

だから今は、後輩にこう言います。

「知らないことを恥ずかしいと思うな。
知らないことに気づけた時が、一番成長してる時だ。」

人は、知っているつもりの時が一番危ない。私も、オイルの件でそれを身をもって学びました。


7. 60歳目前で気づいた。「知らない」は恥じゃなく、まだ伸びる余白だった

六十を目前に思うのは、“知らない”ということはマイナスではなく、“これから知ることができる”という余白なんだということです。

この仕事を続けてきて、いろいろな設備を見てきました。でも、どの機械にも、どの現場にも、まだ自分の知らない世界がある。それを少しずつ知っていくことが、今の自分にとっての喜びです。

あのオイルの件をきっかけに、広く浅くこなしてきたプラントの作業でも、「これはどういう仕組みだろう」「なぜこうなるのだろう」と疑問を持つようになりました。もちろん、各分野の専門家の知識には到底及びません。

ですが、疑問を深掘りしていくと、現場の見え方が少しずつ変わり、さらに新しい疑問が生まれます。その繰り返しが、自然と学びの連鎖となり、仕事への理解を深めるきっかけになっています。


8. まとめ:後輩に伝えたいこと「知ったつもり」の瞬間が、一番危ない

“知らない”を知る――

その小さな気づきが、自分を変える最初の一歩だったように思います。

現場でも、人生でも、知ったつもりでいる時ほど、危ない。けれど、知らない自分を受け入れた瞬間から、また新しい学びが始まります。

それを後輩たちに知ってほしい。

新しいことを知る喜びを。

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